ニューヨークはモダンアートの理念を盗んだのだ
二度の世界大戦において、米軍が二度ヨーロッパを救ったという軍事史と、政治的・文化的にヨーロッパを救ったという事態は並行している。財務・経済・軍事構造に基盤を置いたヨーロッパに対するアメリカのヘゲモニーは、一連の文化的・イデオロギー的活動をとおしてごく当然のものとみなされるようになった。たとえば、第二次世界大戦終盤の数年間に、芸術の中心的産地とモダンアートの理念がパリからニューヨークへとどのようにして移り変わったかを考えてみよう。セルジュ・ギルボーは、次のような魅力的な物語によって、いつ、いかにしてこのような移り変わりが生じたかを描き出してみせた。これは、パリのアートシーンが戦争とナチによる占領で混迷し、戦後世界におけるアメリカの指導的役割を促進するイデオロギー的キャンペーンのなかで、ジャクソン・ポロックやロバート・マザーウェルのようなニューヨークのアーティストによる抽象表現主義が、ヨーロッパの、もっと絞るならパリのモダニズムの自然な継続であり継承者であるとして確立された、その過程についての物語だ。すなわち、ニューヨークはモダンアートの理念を盗んだのだ。
アメリカのアートは、こうして、長期にわたる後退不可能な抽象への論理的な頂点を極めるものとして描き出された。アメリカ文化が国際モデルの地位にまで引き上げられるや、アメリカに特徴的なものの意味合いも変化を迫られた。つまりいまやアメリカに特徴的なものが、「西洋文化」総体を代表するものとなったのだ。このようにしてアメリカのアートは特定地域のアートから国際的アートへ、そして普遍的アートへ……と変容したのである。この点で、戦後アメリカ文化は、アメリカの強大な経済力や軍事力と同じ立場に置かれたのである。戦後アメリカ文化もまた、「自由」世界における民主主義的自由を守るという任務を負わされたのだ1 。
芸術生産と、さらに重要な芸術批評の歴史におけるこの移行は、ヨーロッパの危機が当然かつ不可避の結果としてアメリカのグローバルなヘゲモニーをもたらした、と描き出す多面的なイデオロギー的操作のひとつの側面にすぎない。
アントニオ・ネグリ マイケル・ハート 『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 』以文社 2003年
- Serge Guilbaut, How New York Stole the Idea of Modern Art: Abstract Expressionism, Freedom, and the Cold War, trans. Arthur Goldhammer (Chicago: University of Chicago Press, 1983) を見よ. [↩]
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