あるがままの創造的表現が最優先される再特異化の時代
生態(エコ)─論理(ロジック)はヘーゲル的あるいはマルクス主義的な弁証法とちがって、反対物を《解消》しようとするものではない.。とくに社会的エコロジーの領域では、誰しもが共通の目的を定め、 《無邪気な兵隊として》──つまり模範的活動家として──行動するようになる闘争の時代がある一方、それと同時に、個人的・集団的主観性が《引っこみ》、集団的合目的性に対してももはや何の気づかいをすることもなく、あるがままの創造的表現が最優先される再特異化の時代というものもある。強調しておきたいのは、この新しいエコゾフィー的論理が芸術家の論理と類似しているということである。すなわち芸術家というのは、突然当初の企画を変えるような何か事故的に生じたディティールとか、偶発的出来事を起点にして、作品に手直しをくわえながら、確固たるものであったはずのそれ以前のパースペクティブからどんどん逸脱していくものなのである。《例外は規則を強化する》ということわざがあるけれども、例外はまた規則を変えたりつくりなおしたりもするのである。
フェリックス・ガタリ『三つのエコロジー』大村書店 1991年
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