そして民衆こそ最重要事項だ
われわれは、地層化した環境から始めて、領土化したアレンジメントに到達した。同時に、カオスの諸力が環境によって振り分けられ、コード化され、コード変換を受けたところから始めて、大地の諸力がアレンジメントの中に集められるところまでたどりついた。次に領土的アレンジメントから相互的アレンジメントへと進み、脱領土化の線に沿ったアレンジメントの解放に到達した。それと同時に、集められた大地の諸力から、脱領土化した、あるいはむしろ脱領土化する宇宙の諸力にたどりついた。この最後の運動は、大地の「様相」であることをやめ、宇宙への「抜け道」になっている。パウル・クレーはそれをどのように描いているだろうか。そして、精密であるはずの操作を語るにあたって宇宙という大げさな言葉がつかわれるのはどうしてなのか。クレーは言う。「大地から飛び立つために、人は急激な力を行使する」、そして「重力に打ち勝つ遠心力の支配下に入ると、本当に大地から舞い上がっていくのだ」と。さらに言う。芸術家はまず自分の周囲を見つめるが、それは被造物の中に残った創造の痕跡をとらえ、所産物自然の中に残った能産的自然の痕跡をとらえるためだ。そして芸術家は「大地の境界」に腰をすえ、顕微鏡や結晶に、分子や原子や微粒子に関心をもつが、彼は科学的整合性を求めているわけではない。運動を求めているからそうするのだ。内在的運動だけを求めるのである。芸術家は心に思う。この世界は昔、今とは違う光景を呈していたし、これから先も、もっと違った光景を呈するであろう、それに、別の惑星に行けば、もっと違った光景が見られるのだ、と。芸術家は宇宙に向けておのれを開き、「作品」に宇宙の諸力を注ぎ入れようとする(さもなければ宇宙に向けての解放は単なる夢想にとどまり、大地の境界を広げるなど望むべくもない)。そのような作品を目指すなら、簡素で純粋このうえない、そしてほとんど児戯に近い手段が必要になる。だが、それと同時に民衆の力も必要だ。これこそまさに、いまもって欠けているものにほかならない。「われわれにはこの力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ。われわれはバウハウスでそれを始めた。それ以上のことは出来ないのだ……1 」
***
素材には主として三つの特徴がある。まず素材は分子化した質量である。そして素材はとらえるべきさまざまな力と関係をもつ。また、素材は素材を対象にした存立性の操作によって規定される。さらに、大地や民衆との関係が変化し、ロマン主義タイプのものではなくなることも明白だろう。大地は、いまや最も脱領土化したものである。銀河系の一点にとどまらず、かずある星雲のうちの一つの星雲になったからだ。民衆は、いまや最も分子化したものである。分子状の集団となり、振動子の集まりとなって、相互作用の力を発揮するからだ。芸術家はロマン派的形象を脱ぎ捨て、大地の力を断念し、民衆の力も断念する。戦いがあったとしても、戦いは別の場所に移ってしまったからである。既存の権力は大地を占拠し、民衆の組織を作り上げた。マス・メディアや政党・組合タイプの大規模な大衆組織は再生産をおこなう機械であり、曖昧性を産み出す機械である。そしてこの機械が、民衆と大地の諸力をことごとく混乱させてしまうのだ。既存の権力は、原子と宇宙のレベルにまたがる、いわば銀河系の戦いという状況にわれわれを追い込んだ。多くの芸術家が久しい以前から、しかもこの状況が確立する前に、そのことに気づいていた(たとえばニーチェがそうだ)。そして芸術家がそれに気づくことができたのは、新たな状況のものと同じベクトルが、彼ら自身の領域を貫いていたからだ。素材の分子化と原子化が、素材から汲みとった力の宇宙化につながっていたからだ。とすれば、問題は以下の点に集約されることになるだろう。つまり原子状の、あるいは分子状のさまざまな「集団」(マス・メディア、管理手段、コンピュータ、地球的規模を超えた武器類)が、民衆を訓練するためにせよ、あるいは管理するためにせよ、絶滅させるためにせよ、とにかく現存する民衆を爆撃し続けるのか、それとも別の分子状集団が生まれ、これが最初からあった集団に滑り込み、来るべき民衆を出現させるようになるのか、ということだ。民衆の人口減少と地球の脱領土化を厳密に分析したヴィリリオが述べているように、問題は「詩人として住まうのか、それとも人殺しとして住まうのか」という問いの形をとるのだ。2 人殺しとは、分子状集団と手を組んで現存の民衆に向けて爆弾を投下する者のことである。この集団はすべてのアレンジメントをたえず閉ざし、大きさと深さを増していくブラック・ホールにアレンジメントを突き落とす。詩人とは、分子状集団が来るべき民衆の種を蒔いたり、さらには来るべき民衆を産み出したりもする、そして来るべき民衆に移行し、宇宙を切り開くという希望をもって、分子状集団を解き放つ者のことである。そしてここでもまた、詩人は隠喩をたらふく食う者だなどと考えてはならない。ポップスが放つ音の分子は、いま、いたるところに新しいタイプの民衆を育てていないともかぎらないのだ。それは、ラジオの指令にも、コンピュータによる管理にも、また原子爆弾の脅威にも、およそ無関心な民衆だ。そうした意味で、芸術家と民衆の関係は大きく変化したといえる。芸術家は自分の殻に閉じこもった<一なる個>であることをやめたにはちがいないが、それと同時に、民衆に呼びかけることも、既成の力としての民衆を引き合いに出すこともやめたのである。芸術家はこれほどまでに民衆を必要としたことはかつて一度もなかったのに、民衆が欠けているということをこの上なくはっきりと認識する。つまり民衆とはいちばん欠けているものなのである。通俗的な芸術家や民衆主義の芸術家が問題なのではない。<書物>は民衆を必要とすると断言するのはマラルメであり、文学は民衆にかかわることだというのはカフカである。そして民衆こそ最重要事項だ。しかし民衆は欠けていると述べるのはクレーなのである。だから芸術家の問題とは、近代における民衆が人口減少を経て開かれた大地に移行するということ、しかもこの移行は芸術という手段、あるいは芸術の貢献によって得られる手段によって起こるということなのだ。民衆と大地は、それらを囲い込む宇宙で四方八方から爆撃されることをやめ、それらを巻き込む宇宙のベクトルにならなければならない。そうすれば宇宙そのものが芸術になることだろう。人口の減少を宇宙規模の大地に変えること、これが、いたるところに響く、しかしあくまでも局地的な芸術家─職人の願いなのである。現代の政府が分子状のものや宇宙的なものにかかわりあうとすれば、現代の諸芸術も政府と同じところに問題を見出すし、政府と同じように民衆と大地を課題としている。芸術の手段は、残念ながら政府のものとは比較にならないが、それでも競争に耐える手段であることに変わりはないのだ。ひっそりと、局地的に進行し、いたるところで強化を求め、分子状のものから不確定な宇宙に向かうということは、創造行為本来の姿ではないか。それに対して破壊と保存のプロセスは、大規模な事業をおこし、舞台全面に立つばかりか、分子状のものを抑圧して保存機関や爆弾の中に押し込めるために、宇宙全体を占拠するのではないだろうか。
古典主義、ロマン主義、そして近代(ほかに名前がないので近代と呼んでおく)という三つの「時代」を進化の過程と解釈してはならないし、意味上の断絶をともなう構造群と解釈してもならない。三つの時代はアレンジメントなのであり、その一つ一つが異なる<機械>を、あるいは<機械>に対する関係を包み込んでいるのだ。ある意味で、われわれが特定の時代に属すると見なすものはすべて、すでに一つ前の時代に存在していたのである。力についても同じことがいえる。問題になるのは常に力だったのであり、それがカオスの力として、あるいは大地の力としてとらえられたのである。同様に、可視的なものを再現するのではなく、何かを可視的にするという目的を絵画が設けるのも、音を出すものを再現するのではなく、何かを音にするという目的を音楽が設けるのも、はるか昔からおこなわれてきたことなのだ。いつの時代でも曖昧集合が成立し、みずからの強化プロセスを産み出してきた。そして、分子上のものを解き放つ動きは、脱地層化をともなう古典主義的な内容の質料にもすでに見られたし、脱コード化をともなうロマン主義的な表現の質料にも見られたのである。諸力は、大地やカオスに属するものとしてあらわれるかぎり、力そのものとして直接的にとらえられることがなく、質料と形相の関係に反映される、だから、問題になるのは、むしろ一定のアレンジメントに属する知覚の閾、あるいは分別可能性の閾なのである。質料は、十分に脱領土化したときはじめて分子状の様相を呈し、もはや宇宙にしか帰することのない純粋な諸力を出現させるのである。これは「いつの世にも」あったことだが、昔は知覚の条件が違っていた、埋もれ、覆い隠され、推測され、結論されていたにすぎないものが表面にあらわれるためには、新たな条件が必要なのだ。一つのアレンジメントの中で構成されていたもの、つまり構成されていただけのものが新たなアレンジメントを構成する成分に変化する。そうした意味では、知覚の歴史以外に歴史なるものは存在しないことにもなる。また、歴史を作る材料は、生成変化の質料であり、歴史の質料ではない。生成変化は機械に似ている。生成変化の機械はアレンジメントによってあらわれ方が異なる。一つのアレンジメントから別のアレンジメントに移行し、一つのアレンジメントを別のアレンジメントに向けて開く。しかも固定した序列や限定された継起とは無関係にそうするのである。
ジル・ドゥルーズ+フェリックス・ガタリ『千のプラトー』河出書房新社 1994年
TrackBack URL :
Comments (0)