この世が恐怖に充ちていればいるほど、芸術は抽象的となる
此岸の世界を後にし、彼岸のなかへ建設する。彼岸こそ完全な世界なのだ。
抽象化。
これこそ情熱(パトス)のない冷たい浪漫主義というべきか。前代未聞の怪物だ。
この世が恐怖に充ちていればいるほど(まさに現在の如く)、芸術は抽象的となる。此岸的な芸術は、幸福な時代に栄えるものなのだ。私たちの生きている時代は、過渡期である。昨日の世界から今日の世界への移行なのだ。形象の寒々とした洞窟には、残骸がころがっている。人間はまだ未練がましくあたりを徘徊している。残骸は、抽象化の素材となる。
贋の分子の巣くう廃墟、不純な結晶物の生まれる素地。
これが、いまの時代なのだ。
ところが、──ある日、結晶鉱から血がふき出した。わが生涯もここに終わりを告げるのだ──と私は思った。戦争と死。だが、結晶体の私に死ということがあるのだろうか。
結晶体の私。
パウル・クレー『クレーの日記』 新潮社 1961年
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