芸術はつねに幻想への距離に依存する
幻想が有効に機能するためには、それはあくまで「暗黙」でなければならず、それによって支えられる、明示的な象徴の生地に対する距離を維持し、その内在的な逸脱として機能しなければならない。明示的な象徴の生地とその幻想の背景との間の根幹を成す溝は、どんな芸術作品にも明らかである。場所の方がそこを埋める要素よりも優先されるため、芸術作品はいくら調和的でも、そもそも断片的であり、その場所に対して不足している。芸術が成功する「仕掛け」は、芸術家がもつ、その不利を利点に転じる能力にある──中心的な空虚とそれを囲む諸要素におけるその共鳴をうまく操作するのである。そうすると、「ミロのヴィーナスの逆説」も説明できる。今日においては、この像の腕が欠けているのはもう欠陥とは感じられておらず、逆に、その美的衝撃力の具体的な構成要素と感じられている。頭の中で簡単な実験をすれば、この判断が確かめられる。損傷のない、完全な像を想像すれば(一九世紀には、美術史家は、実際にせっせとそれを「補完」しようとしていた。いろいろな「再現像」があり、その手には槍や、松明や、鏡まであった・・・)、結果は紛れもなく
TrackBack URL :
Comments (0)